| ヒトラー 独裁者の魅力++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ヒトラー 独裁者の魅力 | |
”偉大なる総統閣下”アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler |
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| ■ルドルフ・ヘス Rudolf Hess | ”ヒトラーの副官たち” |
| 総統代理だったが、講和を結ぼうと単独でイギリスに飛んで捕まる。凡庸な人物。 1894年4月26日エジプトのアレキサンドリアで貿易商の子供として生まれる。14歳になってはじめてドイツに渡る。第一次大戦に志願兵として参加した後、Munich大学で政治学を学んだが、トゥーレ(Thule)協会という反ユダヤ組織の影響を受けるようになる。また、Karl Haushofer教授の拡張主義や生存圏(Lebensraum)の理論にも影響を受ける。 ![]() ビヤホールでヒトラーの演説を聞き1920年7月ナチ党に入党。16番目の党員となる。ヒトラー一揆に参加し、ヒトラーとともにLandsberg要塞に投獄される。そこではヒトラーの個人秘書として『わが闘争』の口述筆記を行い、ヒトラーに生存圏やナチスの組織について助言を行っている。釈放後、1925年からはヒトラーの個人秘書として数年間過ごす。1932年には党中央政治委員会議長、親衛隊指揮官になる。 1933年にヒトラーが首相になると、無任所相、党の副総統に任命される。そこでは後に権勢をほしいままにするマルティン・ボルマンを部下にして、ヒトラーの秘書としての業務をこなす立場にいた。また、39年にはゲーリングについで3番目の後継者に指名されている。彼は、ヒトラーにひたすら狂信的に奉仕する存在で、他の幹部のように権力を追求するところがなかったし、その能力にも乏しかった。そのため、部下のボルマンが次第に実質的な秘書として頭角をあらわし、ヘスは戦争で忙しいヒトラーから次第に疎んじられるようになる。 こうした立場を挽回しようと、ベルリンオリンピックで会ったことのあるイギリスのHamilton公爵を通じ、当時ドイツが攻略に苦しんでいたイギリスとの和平を実現しようと行動をおこす。1941年5月、アウグスブルクからメッサーシュミット機で単独公爵の住むスコットランドのGlasgowに飛び、パラシュート降下する。ドイツ国務相総統代理ルドルフ・へス和平提議のため来英したことを告げ説得を試みるが、精神的に不安定なところが認められ、結局チャーチルにもヒトラーにも相手にされずロンドン塔に拘禁された。 ヘスは以前から、オカルトに凝りだしていて、ノストラダムスなどの予言書やお告げを信じ込んでいたようである。そして予言の解釈について繰り返し妻に聞かせるなど、精神面での問題を既に以前から指摘されていた。 ヘスがいなくなってからヘスがトップにいた総統代理幕僚部はヒトラーの特別命令で党本部になり、そのトップにはボルマンがつき、ボルマンの権勢がいよいよ大きくなっていったのである。 ニュルンベルクの裁判では、ヒトラーへの忠誠を全く後悔していない旨の発言を行う。結局終身刑となり、西ベルリンのSpandau刑務所で過ごす。1987年8月17日にニュルンベルク裁判で最後に残った囚人として93歳で自殺した。*右の写真はニュルンベルク裁判でのヘス =[逸話]= ミツバチとスズメバチ ヒトラーは、ミツバチは幸い多く賢い動物だと信じていたが、スズメバチは嫌っていた。彼に言わせると、スズメバチはちゃんと巣をつくることはできない。また、ミツバチの敵で、ミツバチの巣から何でもかんでも盗んでしまうということである。スズメバチの巣を見つけると、彼は巣を庭のホースと石油でメチャメチャにしてしまった。午後のお茶に、みんなで蜜のついたパンなどを食べていると、スズメバチがやってくる。ヒトラーが砂糖水を入れた深めのビンを置かせると、スズメバチはその底に潜って落ちてしまうのだった。これもヒトラーに言わせると「ミツバチは頭がいいからこんな罠にはかからん。」ということになる。 ルドルフ・ヘスが一度、このスズメバチ撲滅作戦を見て同情し、ビンの中から一匹を助けてやったことがあった。この助けられたスズメバチはただちにヘスの口に向かい、舌をチクリと刺した。舌は腫れ上がり、ヘスは息ができなくなって病院に担ぎ込まれ、気管に穴を開けることでようやく事なきを得た。ヒトラーは心配していたが、面白がってもいた。「ヘスは人が良すぎるんだ。それがどんな結果を生むか、ごらんの通りだ。」と、ヒトラーはますます自身をつけてしまった。 |
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| ★《あなたの心の鉤十字(ハーケンクロイツ)をもっと正直に認め、堕落から解放されなさい》★ | |
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